避けていた「HSP本」
私はずうっと、心のことや潜在意識のことに興味があり、いろんな本を読んだりセミナーに行ったりしていたのに、
なぜか、
「HSP」に関する本だけは、無意識に(?薄々気づきつつも?)避けていたようで、今まで、HSPに関する本は一冊も読んだことがありませんでした。
心のことや潜在意識のことに興味がある、という時点で、
どこか周りとは違う、生きづらさを感じていたことは明らかなのですが、
なぜか、HSPについて書いてある本は、今まで手に取らなかったんです。
本屋さんでタイトルはよく目にしましたので、広く認知されてきていることも知っていましたが、それでも、なぜかそれらの本には手を伸ばしませんでした。
だって…
私は“おおらかな人“になりたい!
「そんなの全然気にしないよ〜♪」っていう、緩やかな人になりたい♪
それを目指してなんとかしようと、色々試しているのに…
でも、そもそもそれ自体が「抵抗」だったのかもしれませんね。
「HSPは“気質”です」
「背が高い・低いのように、生まれ持ったものです」
そんなことがチラと耳に入ったりすると、
「この本を読んだら、“おおらかになろう“としている自分の努力は無駄ということを突きつけられるかも。というか、“そんなの不可能だよ”と絶望するかも」
と、心の奥で危険を察知して、無意識に避けていたのかな、と思います。
きっと私は、“可能性”を捨てたくなかったのかもしれません。
いろんなことに繊細に反応する自分の感性を、一方では少し気に入っていて、
でも、
暴力的な映画やドラマは見られない、それどころか、テレビのチャンネルを変えた時にチラと映った映画の広告のワンシーンだけでも、数時間、ひどければ数日心に影響が残る、ニュースも見られず、
これは「普通」ではないのかも…と感じていました。
それでも、ニュースを全く知らなくても特に困らず生活できていた間はよかったのですが、
旦那が海外赴任になったのとほぼ同時にコロナが広がり、子供がいながら日本で社会生活を送っていく上で、どうしても情報に触れる必要が出てきました。
テレビニュースはあまりにも無防備に情報が押し寄せてくるので、ネットニュースをチェックするのですが、それでもタイトルから様々なニュースに触れることになります。そして、そんなことをしんどく感じる自分は、やっぱり何かおかしいのかも、と思っていました。
そんなとき、初心者英語に関する発信をしている人のYoutubeで、彼女がHSPであることを話されていたんです。その時に、彼女もニュースは見られないし、暴力的なドラマなども見られないと知り、「そんな人が私以外にもいるんだ!」と知りました。
それでもまだ私はHSPの本を手に取ることはしなかったのですが、昨日、
「その気質を受け入れて“大切にしながら“生きていく」
というような文章を見つけて、何か私の中でハッとする感じがあったんです。
“おおらかになりたい”と思っている私にとって、
繊細なことは、ある点では、なんとなく特別感があって好きだったりするものの、
やはり大部分において“神経過敏で変えたい性質“だったんでしょうね。
だから、「変えられない気質」とは捉えたくなかったのかもしれません。
だけど、昨日出会ったその文章を読んで、
「大切にしながら」というところに何かホッとしたものを感じて、
ようやく
「認めるかな…」
という気持ちになったのかもしれません。
「自分を受け入れる」
ということはよく言われることですが、
「神経過敏なダメな自分も受け入れる」
というのと、
「愛すべき繊細な性質を持った自分を受け入れる」
というのとでは、雲泥の差です。
今までは、
「繊細であることは神経過敏でダメなこと」
という認識だったのでしょう。
ある部分では繊細な感性も好きで、「これは私の特別なところ♪」という感覚もあったのですが、きっと私の中でのメインの捉え方が、それは「ダメなこと」「嫌なこと」「変えたいこと」だったのでしょう。
けれど、
「大切にしながら生きる」という表現に出会って、
私の中での捉え方が大きく変わった気がします。
ようやく、自分自身を本当に受け入れる覚悟ができたのかな、と思います。
これから、その文章を書いた人の本を何冊か読んでみたいと思っています。
なんだか今、とてもホッとした感覚が、自分の中にあるのを感じています♪
9月に入り、朝の空気がちょっと秋を思わせるものになりましたね。
今日もSoft & Smile で〜ヽ(^o^)