罪悪感

「罪悪感」は、

 

私にとって、

 

「自分で自分をこんなに責めているんだから、許して!」

 

という、許しを請う気持ちだと、気づいた。

 

誰に許しを請うのか。

恐らくは、自分にダメ出しをしている、自分自身に。

 

 

さらに「罪悪感」は、

 

「今の自分自身」を正面から受け止めることを避け、

 

「本当はこんな私じゃないはず!

こんなんではダメでしょう!

ちゃんとして!」

 

と、

 

「理想の自分」が本当は出現するはずなのに、出現していない

 

と、イライラしている状態。

 

 

「理想の自分」は、今はここにはいない。

 

だからこそ、「今の私」がここにいるのに。

 

 

それに気づいて、「今の私」を見つめてみた。

 

いいとか悪いとか、判断せずに。

責めることも褒めることも慰めることもなく。

 

「そっか。これが、“今の私”なんだ」

 

正直、ちょっとがっかりした気持ちが湧き上がった。

 

でも、

 

がっかりできたといういことは、

 

ちゃんと自分を見つめることができた、

 

ということだ。

 

 

そして、「全てはここから始まる」と、分かった。

 

「今の自分」をちゃんと認めずに、

どこからどこへ向かって一歩を踏み出すというのか。

 

 

「“理想の私”はこんなんじゃないはずだ!」

と言いながら、闇雲に“今の自分”を責める、

 

それが、「罪悪感」だ、という気がする。

 

 

「罪悪感」を感じている間は、一歩を踏み出すことはできない。

 

罪悪感を手放して、今の自分自身をちゃんと正面から見据えて、

いいとか悪いとかじゃなく、淡々と、ニュートラルに、

 

「そうなんだね、“今の私”はここにいるんだ」

 

と、自分の位置を確認したら、

 

「じゃあ、こっちの方向に一歩を踏み出そう。

次は、1ミリでもいいから、

今より“行きたい方向”に近づいている自分でいられるようにしよう」

 

そう思えたら、進んでいけるはず。

 

千里の道も一歩から。

 

行きたい先が、途方もなく遠く感じても、

最初の一歩を踏み出さなければたどり着くことはできないし、

最初の一歩を踏み出したら、その一歩分だけは少なくとも、

行きたいところに近づいているはずだから。

 

やけを起こさず(笑)、一歩一歩行こう♪